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正月は、祖霊でもある年神様をお迎えし、新しい年の豊穣安泰を祈る行事です。かつて、1月1日の初日の出とともに年神様が1年の幸せのために降臨すると考えられていました。この神様は「正月様」とも呼ばれており、「1月」ではなく「正月」と呼ぶのは、この神様の名前に由来します。つまり、正月も盆と同様、祖霊や神様のお祭りなのです。
「亡き人のくる夜とて魂(たま)祭るわざは、このごろ都にはなきを、東(あずま)の方には、はほする事にありしこそ、あはれなりしか」(『徒然草』兼好法師 第19段) とありますが、これによると昔大晦日の夜は、魂のお祭りであったことが窺えます。大晦日はその神様や魂を迎える大切な前夜となり、なんとなく神聖な気分になります。これはクリスマスの前夜祭がクリスマスイブであるように、また万聖節の前夜祭がハロウィンであるのと同様に、正月の前夜祭が大晦日にあたるので、神聖な気分になるのもわかります。いずれも霊を迎える行事で、洋の東西と問わず、文化や習慣、民俗のしきたりの共通点を見出すことができます。
年神様をお迎えするときは、門松や飾り花などを玄関や居間に飾り準備をします。年末の一夜飾りは縁起が悪いとされるのは、年神様をお迎えするのに、前日に慌ただしく行うのは失礼とすることからです。また、葬儀の飾りを一夜飾りすることからも、正月の一夜飾りは忌み嫌われています。更に、12月29日に飾り付けをするのも「二重の苦(九)」に通じることから12月28日までに飾るか、30日に行うのが一般的です。

ちなみに、旧暦でいう正月1日は現在の2月中旬から下旬ころに当たります。正月を春といったり、迎春と表現するのももっともなことです。

正月のしきたり あれこれ

初詣
 本来は氏神様をお参りするものです。以前は、一家の家長は大晦日の夜から自分たちが住んでいる地域の氏神神社へ出かけて、寝ずに新年を迎えるのが習わしでした。地域によっては、初詣が終わるまでは誰とも口をきかないなどの風習もあります。また、その年の干支によって年神様のいる方向(恵方)が縁起がいいとして、恵方に当たる社寺に出かけ初詣をするようになりました(恵方参り)。現在はこの恵方参りの習慣は薄れ、全国各地の有名な社寺に初詣に出掛ける人が多くなりました。

門松
 正月には門の左右に一対にして並べます。玄関に向かって左側の門松を雄松(おまつ)、右側を雌松(めまつ)と呼びます。門松は常緑樹で青々と枯れないところから「栄木」とされてきました。また、松は群生しても光を取り込み明るいことから、「神の依り代(よりしろ)」(=神様の通り道)として神聖視されてきました。  
 同様に竹も「神の依り代」と考えられてきたことから、二つを合わせ神様が迷子にならないように目印として門や玄関に立てます。門松を立てるのは一般的には1月7日までです。
門に植物を飾る習慣は奈良時代からありましたが、当時は松に限らずシキミやアセボ、榊(サカキ)、杉など周辺で取れる常緑樹を使っていました。松が使われるようになったのは平安時代末からです。天才や疫病、強盗、貴族たちの権力抗争など乱世が続くこの時代において、ちょうど浄土宗が流行し、未来に希望を持つようになった庶民は、年神様を家に呼んで幸せにしてもらおうと、門松を立て始めたのです。鎌倉時代になると武家社会では松とともに竹を立てるようになり、魔除けとしました。江戸時代には幕府が三河地方から松を取り寄せ、豪華な門松を飾ったことにより、大名家ではこぞって派手な松飾りを立てました。左右対で使われるようになったのは、江戸時代からです。

お年玉
 現在では大人が子どもに与えるものになっていますが、元々は神様に捧げたお餅を、神様からご利益として分けて頂いたものとして家族に与えることから始まりました。神様に供えるおひねりのことやお供えのものを分けることを「年玉」と呼んでいましたので、ここに語源があるようです。そもそもは現金ではなく、お米や昆布、お餅などのお供え物が「年玉」だったのです。お年玉は、年神様の祝福を受けて、賜るものなのかもしれません。

注連縄(しめなわ)/注連飾り(しめかざり)
 注連縄は神棚などに飾り、神様を迎える場所であることを明確にするためのものです。注連縄が張り巡らされた木や岩、或いはその一帯は清浄で不浄は入れないという印なのです。
 正月に玄関口などに施す注連飾りも注連縄同様、年神様を迎える神聖な場所であることを示すものです。かつては、「年男」と呼ばれる家長が注連縄を家の中に張っていましたが、現在では注連縄を張る文化自体も簡略化され、注連飾りや輪飾りになっていきました。

七草粥(人日の節句)
 1月7日には七草粥をいただく習慣があります。これは、おせち料理というご馳走をお腹いっぱいいただいた後、疲れた胃袋をいたわるという意味もありますが、元々はこの日に七草粥をいただくとその年は健康でいられるといわれ、平安時代に中国から日本に伝播したものです。最初は「小松引き(こまつびき)」という行事で、小さい松を引き抜き、春の若菜を摘み、詩歌を歌って楽しみました。「根が伸びる」に「年を伸ばす(長生きする)」、或いは葉を摘むことに「年を摘む(年をとらない)」とかけ、長寿を祝った行事です。それが江戸時代には「五節句」の一つである「七草の節句(人日―じんじつ)」として定められました。
 ※五節句
 1月7日 七草の節句(人日)
 3月3日 桃の節句(上巳)
 5月5日 菖蒲の節句(端午)
 7月7日 七夕祭り
 9月9日 菊の節句(重陽)
七草粥に入れるのは春の七草で、「セリ、ナズナ、ゴギョウ(ハハコグサ)、ハコベラ(ハコベ)、ホトケノザ、スズナ(カブ)、スズシロ(ダイコン)」が一般的です。ようやく芽を出した野草の強い生命力にあやかろうとしていたこともあるでしょう。また、野草の種類を「七」としたのも、中国の人日の節句では、1月1日-6日までに獣畜を占い、7日は人を占い、7種類のごちそうをいただきます。この「7日」「7種類」から「七草」になりました。「菜菜(おかず)」は数が多くてめでたいという意味も含んでいます。

鏡餅と鏡開き
 鏡もちは年神様へのお供えとして床の間に飾ります。まず三宝(さんぽう―左右に穴があいている供え物の台)に紙を敷いて、その上にウラジロとユズリハを載せます。その上に鏡餅を二段に載せ、更にその上に昆布を長く垂らして敷き、橙(だいだい)や干しスルメなどを置いてできあがりです。ウラジロは常緑の葉であることから長寿を、ユズリハは新しい葉が出てきて初めて古い葉が落ちることから「譲って絶やさぬ」と次世代に家系を引き継ぐ願いを、また橙は家が「代々」栄えるに繋がると縁起物として使われるようになりました。
1月11日には、正月に備えた鏡餅を降ろして鏡を開きます。鏡開きは神霊が刃物を忌み嫌うため、手や小槌などで鏡餅を割り、お雑煮やお汁粉にいただきます。昔は主君と家来たち、或いは主人と従者たち、更には家族も一緒に頂き、親睦を深めるという意味があったようですが、現在はこの行事を見かけることも少なくなりました。ただ一部の武道関係の道場などでは稽古を行った後に鏡餅を雑煮などにして食べる習慣が残っているようです。

松・竹・梅
 いずれもおめでたいことの象徴として使われる植物です。松は常緑の高木で樹齢が長いことから縁起物とされ、神の降臨を「待つ」木、或いは「祭り」の神樹とされてきました。竹は驚くほど強靭な萌芽力に生長力、清々しい姿に地下茎の豊かな広がり、どれをとっても無限の繁栄の象徴としてめでたい植物とされました。梅は厳寒の中でも豊かな芳香とともに気品ある花を咲かせる植物で、春に最も早く咲く花です。年の初めを迎えるにふさわしい花として梅を大切にしてきました。昔からこれらの生命力溢れる植物に霊威を感じ、あやかろうと正月の祝いに取り入れたのでしょう。

正月にお勧めの花

千両・万両・オモト・南天など
 いずれも寒い冬でも赤い実を付け、大変縁起の良いものと正月の時期には重宝されます。また、南天は「難を転ずる」に通じることからも縁起物とされています。

オンシジウム、デンファレ、アランダ、オドントグロッサムなどのラン類、スプレーギク、輪ギクなどのキク類
 中国ではもともと蘭・竹・菊・梅の4つをその美しさと気品の高さから草木の中の四君子と位置付け、縁起の良いものとしてきました。発色も良く、凛とした雰囲気を持つラン類やキク類は、年神様をお迎えするのに最適なアイテムでしょう。

正月

スイセン
 季節の花であり、生け花などにも良く使われます。また、スイセンはロウバイのような爽やかな香りを放ちます。ヨーロッパでは春を告げる花としても人気があり、日本でも江戸時代から節目を飾る縁起の良い花とされてきました。

その他、ハボタン、グロリオサ、コウヤマキ、ロウバイ、ユキヤナギ、シンビジウム、ツバキ、ラナンキュラスなど

2010年 大田市場花き部仲卸協同組合 青年部

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