彼岸とは、仏教用語で「向こう側」を意味する言葉で、煩悩から脱した悟りの境地のことを指します。一切の迷いや苦しみの火が消され精神の安定が得られる所である極楽浄土のことです。また、あらゆる煩悩が消滅し、苦しみを離れた安らぎの境地のことを涅槃(ねはん)といい、サンスクリット語の“ニルバーナ(=「消される」)”から来ています。
これに対し、煩悩や迷いに満ちたこの世のことを「此岸(しがん)」(=こちら側の岸)といいます。
春のお彼岸は、そのお中日である春分の日を中心に、前後3日間ずつ、合計7日間を指します。春分と秋分の日には、太陽が真東から昇って、真西に沈み、極楽浄土の方向がはっきりとわかることから、この期間に教えを実行したり、祖霊を供養することで極楽浄土へ行くことができると考えられてきました。仏教思想に日本古来の祖霊信仰が合併し、生まれたものです。
寺院等では彼岸会(ひがんえ)という法要が行われ、読経や説法が行われますが、一般の家庭でも、祖先を敬うために墓参りをしたり、仏壇に牡丹餅などを花とともに供えたりします。一般の人にとってのお彼岸は、先祖を思い出し、先祖のあの世での幸せを祈るとともに、家族を守ってもらうという意味合いが強くなっています。
ちなみに「牡丹餅(ぼたもち)」と「お萩」は墓前に供えるもので同じものですが、春は「牡丹餅」、秋は「お萩」と呼びます。小豆の粒をその季節に咲くボタンやハギに見立ててその名を取りました。ボタンもハギもともに赤い花ですが、その赤色は災難が身に降りかからないようにする邪気祓いの色とされています。春のボタンは比較的大輪なので、牡丹餅は大きめに、ハギは繊細な小花なのでお萩はそれより少し小さめに作ります。
さて、「暑さ寒さも彼岸まで」というように、この季節は移り変わるはっきりとした日本の四季の中でも過ごしやすい時期でもあります。春のお彼岸は農作業の開始時期でもあり、豊作を祈ってこのときに種付けを行う地方もあります。彼岸にいる祖霊を思うにも、穏やかな気候のこの時期はちょうどいいのかもしれません。
ところで、なぜ人は葬儀が済んでからもなお祖先を思い出し、供養をしたり花を手向けたりするのでしょうか。それは、とりわけ八百万の神を信仰してきた日本では、花に精霊が宿っていて、祖霊を鎮魂しつつ、蘇らせる力があると考えられてきたからです。
正月の松や竹などが神の依り代と言われるように、あらゆる花には神や祖霊が宿り、人と交信するツールと考えられてきたのではないでしょうか。だからこそ、正月や盆や彼岸など一定の季節になると花を通して死者に語りかけ、冥福を祈りつつ、死者が生きていたころの幸せを思い、祖霊と一体感を持ったのでしょう。昔から花は現世(此岸)の人とあの世(彼岸)の人をつなぐ欠かせないものだったのです。